自分的にはもうすでに暗記している部分の
暗唱のテストだから今夜は早めに切り上げても良いかな、と思いつつ
最終確認、と一章一節からスタートしたところだった。
ノックの後、ガチャリと扉が開く。
この部屋にこうやって入ってくるのは子猫丸か志摩だけだ。
子猫丸はもう少し品のある入り方をするので、
すぐに志摩だとわかる。
暗唱中だとわかると(お邪魔しました)という顔をして、
慌てて机から事典を取って出て行こうとする。
唱えながら何か他の事をしたり考えたりするのは得意だ。
ノートにそこで待てと書いて見せると、
志摩は頷いて、部屋の端にあるベッドへ向かって腰掛けた。
今更わざわざこっちの部屋に事典なんて取りに来るという事は、
明日の試験勉強がどこかでつまづいているんだろう。
自分にも余裕はあるし、手伝ってやった方がいいかな、と思う。
志摩は暗記勉強が苦手なのだ、昔から。
一区切りするところまで確認し終わった後、
振り返ってみると志摩はベッドに寝転がっていた。
「…なにしてん、寝てんな人の部屋で」
「寝てるんちゃいます〜」
不服そうに答えながら起き上がる。
「休憩です?」
「もう覚えたからええわ」
隣に座りながら言うと、
その答えに悲しそうな表情で、
「俺はまだあと半分覚えな〜。もうあかんわ」
そういってまだベッドに倒れた。
…やっぱりな。
はぁ、とため息をついてみせる。
「そうやろ思たから、俺のノート貸したろと思うたんやけどいらん?」
反対側の手に持っていたノートを差し出す。
「ほしい!あ〜もう、坊優しい」
がば、と抱きつかれ、一瞬息が止まりそうになる。
これくらいよくあることで、
志摩にはなんの他意もないリアクションだと、わかっていたのに。
不覚にもその先にあることを考えてしまったことに一瞬動揺が走った。
気持ちを悟られないよう落ち着けるため、
軽く咳払いして、取り繕う。
「暗記すんの、手伝ったるけど」
手に持っていたノートをぱん、と叩いて、広げる。
志摩がひっかかりそうなところはなんとなくわかる。
伊達に長く一緒にいるわけじゃない。
こいつは勉強ができないわけじゃないが、
どうも小器用にいろいろできるせいであまりコツコツやる気持ちが足りないのだ。
ひっかかりそうな場所を軽くチェックして、
志摩に、いつでもどうぞ、と視線を送る。
「…俺、そういうときの坊の顔、好きやわ」
しかし突然、真顔で妙なことを言われた。
「はぁ?…そういうときてなんや」
そんなことを言われる謂れがどこにもない。
またふざけているのかと思い怪訝な視線を送るが、そういう表情ではない。
志摩の突拍子のないのは今に始まったことではないが、
こういう、感情や脈絡が読みきれないときの
真剣な顔に、いつも勝呂は困惑させられてしまう。
普段のらりくらりと冗談まじりの軽い態度ばかりみせられているせいで、
どうにも本心が読みきれないところがある。
「勉強教えてくれるとき。ほんま男前や」
「なんや、からかっとんのか腹立つ」
「からかってへんよ、こんなカッコええ人が俺のこと思うてくれてるんやって思うとほんま幸せになるわ」
しっかりと視線が合う。
本心はよくわからないが、からかったつもりではなかったらしい。
ね?と言うように、やわらかい視線を向けられると、
なんだか照れくさくなってしまった。
今の言葉は聞き流すには胸にとどまる部分が多すぎる。
「へ、変なこと言わんと…ほら、第1節からはじめぇや!」
照れた、と思われたくなかった。
志摩の手馴れたようなそういう仕草が、
自分に向いたときの、翻弄されたような感覚が上手く処理できなくて好きじゃない。
軽口なら軽口にしておいてほしいのに、
本心だというような顔をするなんてほんとうにずるい。
「…ほな、お手伝いお願いします」
ちょっと改まって丁寧に志摩はそう告げて、
記憶を辿るように目を瞑って、たどたどしくはじまった第1節。
これはちょっと時間掛かりそうやな、と苦笑いする。
++++
「こことここは同じ意味や、表現が違うだけで」
「はぁ〜、そんなら全部統一してほしいわ…」
「前の文節との兼ね合いで変わっとんのや。この流れが覚えられれば間違えへんて」
時間は22時30分すぎた辺り。まだいくらか時間の余裕はある。
まだ覚え切れていないところもあるが最低70点は固いところだろう。
一生懸命暗記しようとする志摩を見て、
詠唱騎士なんてちっとも向いてないのに、なんで目指したんやろ、と思う。
俺と子猫丸がそうするからか?とは思うが。
それにしたって、もう少し楽に祓魔師になる方法はあったはずだ。
「お前、なんでこんなに暗記苦手なのに詠唱騎士やねん?」
「え〜、そないな酷いこと言わんでよ坊」
俺かて傷つきますわ〜と、顔を机に突っ伏して派手に落ち込んだアクションを取る。
「単純に不思議やっただけや」
もちろんそのことを否定するつもりは毛頭ない。
まぁええわ、と話を切り上げようとしたとき、
志摩はその体勢のままこっちを見てこう言った。
「坊が言わはったんですよ、詠唱騎士なら身体がダメになっても頭吹っ飛ばん限りは最後まで戦える、て。
せやから、坊がサタンと戦うって時最後までおれるようにー、て」
…ほんとうになんてことのないように。
「あ、あと、今やったら坊と子猫さん一緒やったら勉強手伝ってくれはるわ、とも思うたし」
「…さ、最初からそのつもりか」
一瞬呆気に取られていて、反応が遅れそうになる。
「そんくらいええやないですか〜、教えたほうが覚えるて、よく言わはるでしょ坊」
いつもの軽口の会話をしながら、
心の中は、びっくりしすぎて本当はそれどころではなかった。
志摩がそんな気持ちでいたとは、正直気が付いていなくて。
義務感と、多少の好意と、あとはなんとなくで祓魔師になろうと思っているんだとばかり思っていた。
―俺のためなのか。
最後まで一緒にいようと、そう思ってくれていたなんて。
志摩はシャープペンを指先で回しながら、
頬杖をついてさっき間違えたところの復習をしている。
―そない言われたら、意地でも俺がお前のこと祓魔師にさせたらんとあかんやろ。
体中が嬉しさで満たされそうになったまま、
勝呂は志摩の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「なんなん〜?」
「し、刺激っ、与えた方が覚えるやろっ」
ちょっとむくれてみせた志摩に、
ありがとな、と言うかわりに、本当に心から志摩に笑いかけた。
「ほら、面倒みたるからあと1時間頑張りや」